杭州・黄山の旅 04−09−23〜26

 20日から22日まで、北海道・大雪山旭岳の旅から引き続いての中国への出発ということで心配もされたが、早朝4時半に起床。5時31分西大寺発 の赤穂線で出発。岡山から「のぞみ」と「はるか」と乗り継ぎ、8時30分に関西空港に到着。この度の旅行、旧友である宇野晋二氏と阪急旅行社のツアーに参 加してのもの。8時15分の集合ということで、15分の遅れて手続きをして、両替、出国手続き、搭乗検査などなど、大変な混雑の中で搭乗15分前でやっと 機内へ。定刻通りのフライト。無事に杭州に到着。

杭州の市街図の一部。中程の湖がかの有名な西湖。
その下の大河が銭塘江で、毎年秋の大潮に海
から津波のように海水が押し寄せるところ として
有名。西湖の真南の銭塘江沿いに六和塔がある。
そこを見学し、西令印社で買い物、西湖を船で遊
覧し、人民解放軍の駐屯地で龍井茶の試飲を、
その近く のレストランで杭州料理を味わう。




左の地図をクリックすると拡大図が出ます。

六和塔

六和の像
六和塔は、銭塘江の高潮を鎮め、また灯台の役目をさせるため 宋代に建てられた塔。螺施階段で最上階まで上がることができ、そこから銭塘江の雄大な流れを一望することができる。
伝説によれば、昔、銭塘江にとても凶暴な龍王がいた。しばしば風を吹かせ、高波を立て、漁船を翻弄し、家や田んぼを水没させ、人々を 困らせた。漁師の子供六和の父親も波にさらわれて死に、母親は連れ去られてしまった。六和はおおいに悲しみ、怒りに満ち、毎日川に石を投げ込み川を鎮め た。龍王の宮殿を激しくゆさぶり続けたところ、龍王は許しを請い、金銀財宝を六和に差出し、和解をしようとした。しかし、六和は許さず、二つのこと求め た。ひとつは、母親を帰すこと。もうひとつは、人々に害を及ぼさないこと。龍王はいかんともしがたく、言われるとおりにした。以来、銭塘江は再び溢れるこ とは無くなり、人々は安心して仕事をし、生活をおくることができた。人々は六和の行為に感謝し、彼が積み上げた石の小山に、塔を建てた。これが六和塔のい われである。

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