アイゼンハワーの1ドル硬貨  2016-12-31



 医療保険証券を家内が耐火金庫の中を探すが見つからず、ついでに古い書類や失効している証券などを始末することにしていたところ、記念硬貨やもう発行していない古い紙幣などが出てきた。
 前の東京オリンピックや天皇陛下の在位記念の硬貨などの記念硬貨の中に、米国の1ドル硬貨が出てきた。
 この硬貨に1972年の刻印がされている。懐かしくなり、なぜ保存していたかを思い出した。
 当時、私は、岡山市の文化課へ勤めており、文化振興係員で岡山市ジュニアオーケストラも担当していた。私自身、学生時代からベース弾きであり、ジュニアオーケストラにトラとして出演もしていた。
 1972年ではないと思うが、その数年後であったか、岡山市と姉妹都市であったカルフォルニアのサンノーゼ市からジュニアオーケストラがはるばる岡山市 へやってきて交歓演奏会が岡山市市民会館で行われた。その折に私が舞台監督としてオーケストラのセッティングなどのお世話をさせてもらった時、サンノーゼ ジュニアオーケストラの指揮者から記念にもらったものである。
 この指揮者は、ルーマニアのエネスコと親族であったと、うら覚えであるが聞いたように思う。
 この文化課時代に、岡山市民文化ホールの新築や岡山市オリエント美術館の基本計画なども担当していた。岡山市民文化ホールは今の耐震構造に適合していな いということで、新たな市民会館が出来た際に取り壊されるとのこと。私の上司である植田心壮先生と山本勇さんと一緒に地元折衝から国への補助金申請、起債 申請、発注、そして大道具の仕様書作成から、条例案や使用料金、冷暖房料金の設定まで行い、最後は市長部局へ引き渡したという思い出深いものであ るだけに、消えてしまうことに一抹の寂しさがある。
 それとつい最近これは、私が岡山市教育委員会で最後に携わっていた岡山市立後楽館中高等学校の旧校舎であった天神山校地が民間に売却される予定という発 表がされていた。これも大変苦労して学校でない建物を学校として認めてもらうために苦労したことが思い出される。それもこれも懐かしくもあり、過ぎし日々が 遠ざかったことに深い感慨を覚える。


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