後楽館中・高校跡地の売却 2017-03-09
岡山市天神町のオリエント美術館の北側、県立美術館とは道路を隔てた南側に、岡山市立の後楽館中・高等学校があった。平成11年四月の開校であったと思
う。この校舎は旧農政局の建物を改修したもので、元々事務仕事向きの建物であったものを教室に改装して使った。多くの生徒が使うということで、非常階段も
増設したことを覚えている。
当時、私は岡山市教育委員会に在籍し、この学校の新設に関わっていた。戦後間も無くからあった市立定時制の商業高校と工業高校を長年どうするかと研究調査委員会を開催し、なかなか方向性が見出せず、ジリ貧の状況であった。
平成7年であったか、津山高校長であった戸村先生が、岡山市の教育長に就任され、この問題の解決の為に、国が当時模索していた中高一貫校に衣替えしようということで、関係機関にも働きかけて公立の中高一貫校としては全国で初めてのものとして新設された。
その折にどこへ校舎を設置するかということで色々と検討したが、旧農政局が空き家のままで放置されていたものを学校に利用しようということになった。こ
の建物については県が将来的に利用として先に国へ声をかけていた。そこで、中心部の小学校、中学校を統合しようとしていたので、丸之内中学校を廃校にし、
この校地を県に譲って農政局の跡地を国から払い下げてもらうことになり手に入れることができたのである。この働きかけも戸村教育長が知事に直接折衝して内
諾をもらい、市長や議会に働きかけて実現できたものである。
農政局の建物だけでは、校舎としては不足するので、統合で空いた内山下小学校の校舎や総合福祉会館の施設を借用してあてがい、校舎だけの授業だけでな
く、市街に出かけて調査研修するシティキャンパス構想を打ち立ててユニークな教育を行う総合学科の単位制の定時制高校として再発足したのである。
色々と中国財務局と掛け合ったり、校舎として建築基準法に適合するよう施設課長と苦心したこと、また、中高一貫校などを盛り込んだ学校教育法の改正が国
会で審議されていたので、その成立が開校の成否を握っているので、岡山での取り組みを文部省の担当者へ情報を伝達するとともにユニークな教育が実現できる
よう法整備に当たって抵触しないように度々協議したことも懐かしく思い出される。
開校後間も無く、全国で公立の中高一貫校としては初めてのものであり、当時議案審議に当たっていた参議院文教委員会でも俎上に登った学校ということもあって委員のみなさんが施設に訪れたということを、後にお聞きした。
そうした懐かしい思い出のある跡地が、売却されるのはなんとも寂しいことである。
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